最近の何だか(2020年4月26日)

例によって備忘のメモ。

  • 現下の状況は、上が無能なのを下々が耐えて何とかしている、というようにこちらには見える。上が無能なのは、おそらく第2次大戦前から不変のことで、結局歴史は様相を変えて繰り返しているのではないかとも思う。ここで、上を改善できないのはなぜなのか、という疑問があるが、これは、ひょっとしたら下が耐えて何とかするからなのではないかという気がしている。そうであれば、声を挙げて文句を言い続けること以外に、穏当な方法で上を改善する方法は、ないのかもしれない。
  • 某専門家集団の物言いが変節したように見えたのだが、未知の状況に対応する中で、新たに判明した情報により、物言いが変節することがあり得ることは理解する。しかしながら、その場合、変節の理由について相応の説明が必要なはず。それがなければ、言説の受け手の立場からすれば、恣意的な変節と区別することができない。ところが、今回は、こちらが見る限り、そのあたりがないように思われた。こうなると、専門家なるものの信用性が落ちるわけで*1、如何に現場で何をしようとその言説への信頼度が下がったことの危険は認識しておくべきではなかろうか。
  • 某宣言については、なし崩し的に延長されるのだろう。とはいえ、意思決定が遅すぎる。延長しないとなった場合には、諸々の段取り替えが生じるわけで、それに要する手間とかを考えると相当の事前の時間を見込む必要がある。この点についての想像力が、政権側に欠けているように見える*2
  • 某宣言を解除となった時のことを考えると、これまでの状態に完全に戻すことは、その良し悪しはさておき、おそらく困難なのだろう。しかしながら、ある種「仮設」的に立ち上げたものをなし崩し的にそのまま「本設」にしてよいかは、別途検討が必要なのではなかろうか。「仮設」であるがゆえに歪さを孕んだままになっていること(例えば特定の層に過度な負担をかけることが前提となっているとか)も考えられるので。
  • いずれにしても、どういう形であっても、ある意味で「長期戦」化するのだろうから、持続可能性を重視して動かないと無理があろう。何でもかんでも「自粛」すればいいというものではない。これまで「不要不急」呼ばわりした方面に対する相応の配慮があって然るべきだろう。現下で議論されているものに加えて、だが。
  • 「自粛要請」というのも、よく考えると違和感がある。自粛は自発的行為であり、他者から要請されるような事柄ではないと感じるからである。ましてや、公権力の側が「自粛要請」なるものに応じない相手に、公権力を振りかざして何かをする行為というのは、違和感が強い。法治行政の下では、法律上の根拠なしに事実上であれ、強制的な対応をすべきではない。いかなる内容であっても。このあたりをおろそかにすると、濫用の危険が生じると思う。

*1:人の生き死にを「人質」にとって好き勝手言っているだけにも見えかねない。

*2:そもそも欠けていないなにかがあるのかという説もあろうが