冒涜?

考えがまとまっていないのだけど、現時点で感じていることの一応のメモ。

 先日のサンデーソングブックでの達郎御大の一言について、次のような記事が出ていた。達郎御大が、AI美空ひばりを「冒涜です」と断じたのだった。

(追記:リンク切れがあったので、別の記事に差し替えて、さらなるリンク切れに備えて一定の追記をした。)

asagei.biz

 

御大のご託宣を待つまでもなく、紅白の時点で故人への冒涜だろうなと思ったのだった*1。事前に次のようなものを見たから余計にそう思ったのかもしれない。

news.1242.com

故人に対してのプライバシーは認めがたいのかもしれないが、故人の知己が故人を静かに偲ぶのを害する可能性があるわけで、プライバシーと直接言うことは困難であるとしてもその延長線上?にあるものを害することになるのではないかと感じるところ。

 

それとは別に、故人との関係でも、今回の紅白での企画は、結果的に、故人が歌ってもいない歌、生きていたら歌わないと言うかもしれない歌を故人に問答無用で歌わせるかのような形をとったわけ*2で、その時点で、故人の歌わない自由のようなものを侵害していないかという気がする。まったく歌ったものがない歌について、歌った体のものを人工的に作り出したという点は、故人が生前に残したものに手を加えるなどの対応*3も見られるものの、そうしたものとは一線を画したものということもできるのではないだろうか。

加えて、歌い方、という意味でも、故人が生きていたら、したであろう歌い方を推測してはいるものの、その推測が故人の意思に合致していない可能性も否定しきれず、その意味でも故人の歌い方の自由のようなものを侵害していないか、という気がする*4

 

これらの点については、今回は遺族が承諾をしたということにはなっているが、そもそも遺族が承諾可能なのか、というところも考える必要があるのかもしれない*5

 

個人的にはAIもそれなりに聴ける状態で歌を生成できるのであれば、故人に仮託などせずに独自のキャラでやればよいのではないかと感じるのだが…。

*1:それとは別に、故人と反社との関係についてはある種周知のところであり、それゆえに紅白とかには起用しづらいところがあったはずなのに、このような形であればOKというのはあまりにもご都合主義すぎやしないかとも感じたのだった。

*2:ものまねは、本人の真似を第三者がしているということを明らかにしている点で、明らかな差異があるというべきだろう。

*3:フレディ・マーキュリーであれ、ジョン・レノンであれ、その他の人であれ、その種のものは公式に出回っているわけだが、グループの場合は、残りのメンバーにそういうことを可能ならしめる何らかの包括的な授権がなされていたと解釈する余地が生じやすいのではなかろうか。

*4:今回の再現?についていえば、歌い方の癖の再現について、カドを落としすぎていて、無味無臭なものになっているのではないかとも感じたのだが、こちらの故人の歌に対する知見が乏しいので、断言はしづらい。

*5:ここで、ヨーコ・オノを思い出すと、死人に口なし状態にかこつけて…とか言いたくなるが、一応自粛。