どれほどの余地が

例によって呟いたことなどのメモ。

 

契約書の内容審査をする際に、内容に問題ありと考えて修正案を作っても、交渉力の問題で、修正不可といわれる、というのは、まあ企業の法務担当者としてはよくあることという気がする。これに対し、若手の法務担当者のお嘆きの中に、そういうことが含まれているのに接した。

 

他の点はさておき、上記の点については、そもそも修正案を考える以前に、まず最初に「修正案を作ったら相手と交渉できるか」というところを依頼してくる事業部門等に確認を励行すればよいのではなかろうかと思う。交渉の余地がないというのであって*1、それでも契約を締結するという話になるのであれば*2、現状の案文を前提に、どのように危険を極小化するか、そのために何ができるのか、何か注意すべき点はあるのか、に注力すべきなのではなかろうか。その意味で、修正案を考えるのに自分の労力と時間を使うのは賢明な対応とは言えないのではなかろうか、と思う。なので、賢明でない選択をしておきながら、やる気がどうのこうのというのは何かが間違っているのではないか。そんな気がしないでもない。

 

僕は、企業の法務担当者だった頃に、ネゴ余地が少ない、または、ほとんどないような話(入札案件と*3かだとそういう話にもなりやすいような気がする)の契約条件の検討とかをしたことがあったから、そう思うのかもしれないが。いずれにしても、無駄な作業を避けるという意味ではこういう視点があっても良いのではないかと思った次第*4

*1:本当に余地がないのか、営業担当者が目先の利益にとらわれて、交渉の余地がないのか、は、別途検討が必要だろう。そのあたりはその営業担当者がどこまで信用できるのか、という問題とも関連する、というのが個人的な経験則である。

*2:その判断が経営判断原則の下で保護される話かどうかの検討は別途必要だろうが

*3:プロマネから、ネゴは試みるが、修正提案は3つに絞れ、とか言われたこともあったし。

*4:念のために書いておくと、正味の話ネゴ余地がなくても、何らかの理由により形式上ネゴをしてみる形を踏まないといけない場合も想定可能だろう。その場合は、実現しないという意味では無駄に見えても、話を前に勧めるためのステップとしてその種のやり取りには意味があると考えるしかないのだろう