一通り目を通したので感想をメモ。
能見先生というと、僕が在学していた時期に東大法学部におられたのだが、教授陣のローテーションで、僕の年次では必修ではない4部(親族相続)の担当だったため、授業を履修するようなこともなく、接点はなかった*1。現時点でも四宮総則の補訂をされているということで認識している程度だった。
本書は、民事法の分野の根幹をなす、といえる「人」や「物」の区別に関連する過去から最近に至る様々な議論について紹介したもの、というあたりが、内容紹介となろうか。語り口は平易だけど、ギリシャローマ時代から最近の議論まで、紹介されていて、著者の学識には驚かされる。本文は平易でも、注はプロにも役に立つようにした、という趣旨の著者のコメントが「はしがき」にあるが、確かにそうだろうという感じがあった。このシリーズの他の本と同様に高校生向けのレクチャーや質疑応答をまとめたものではあるが、高校生の所属は不明なるも、おそらくは超上位校の生徒さんと思われ、質問が的確なのに驚かされる。自分が高校生の時にこのような質問が出来たとは到底思われない。
司法試験合格までの過程では、「人」や「物」の定義等について、あまり学ぶ時間はなかった。これらの点はさらっと言及されて、その先についての議論に重点が置かれていた。しかしながら、その定義の画する範囲は必ずしも明確とは限らず、両者のいずれについても、通常想定されている定義に含まれずとも、そこに近いような、準なんとか、みたいなものが存在したのは、今に始まったものでないことが本書で示されている。また、この両者が交錯するようなものについても、以前からそのような事例が存在していたことがわかる。AIとか自動運転とかが問題になるところでは、これらの点に関する議論に脚光が当てられることがあるが、その種の議論がまったく新しいものということは考えにくく、陽の光の下に新しきものなし、ではないが、過去において、何らかの形で類似する議論がなされていたというのが興味深い。過去の議論に目を向ける意義というものを感じた。
普段の日々の業務の中では、立ち戻るようなことがそうそうない部分について、ある程度しっかりとした議論に接することは、今後新しいものが出てきたときに、法律的な見地から検討するためのと手がかりとすることができるので、こういう形で、接しておくことには、意味があると感じた。
*1:”Do you 能見?”という表現に接したことがあったのを記憶している程度だった...。