本を積むことについて

思うところあってメモ。

 

読まないとわかっていて積読の山を放置するのは本人の能力不足という趣旨の呟きを、某翻訳家の方がされているのに接した。ご本人がどうしているのかは不明だが、いくつか思うことがあるので、メモをしておく。

 

  • まず、読まないとわかっているとなぜ言い切れる?という疑問がある。こちらのように積んでいる本の大半が法律書だったりするし、そもそも読む目的ではなく、調べもの用に買っている本が大半だが、状況の変化で思いもよらず読まざるを得なくなることもある。自分が「読まないだろう」と感じている将来の自分がどこまで確かなものか、なぜわかるのだろう。読まないだろう、使わないだろうと思ったら、読みたい、使いたいと思うようになり、再度入手を試みたこともある(常に入手できたとは限らない)身からすれば、疑問が残る。
  • その点を置いたとしても積んでいないと将来読めなくなる危険が生じるのである。特に専門書は。それで何度泣いたことか。読む権利を確保するためだけに積む意味はあるものと信じる。