手動twilog的益体もないメモ。
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被害者の被害が想定可能なところに出向いて被害を受けているように見える時に、危険の引き受けみたいな議論が一切封じられるのはそれはそれで疑問が残る。
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洋物の言葉をカタカナで使われると厳密な意味が共有されないことがあるが、これまでのように漢字での表現に置き換える過程でしっかりと意味を考えることができていたのにそれをさぼっていれば当然の帰結かと。最終的に片仮名にならざるをえないという結論になっても考える過程が必要で、そこの重要性を顧慮しないと齟齬が出ても不思議はない。翻訳を通して母語で先端的な学問の議論を展開できることの意義は軽んじてはいけないと思う。
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築いた信用を崩すのは一瞬というのを全世界規模で見ていると感じる。