ある「ルール」にまつわる諸々について

何のことやら。先般終了した某催事に関して接した報道を見て思ったことなどをメモ。

感動の押し売りみたいな報道のされ方や前回の東京でのあれこれを見て、すっかり見たくなくなって積極的には見ないようにしていたが、それでもさらされる映像などがあって、その範囲での感想というにとどまるが。

 

20歳前の某選手が法令上禁止されている行為を行ったとして、団体競技等への参加を「辞退」と相成ったようだ。問題行為が周囲の支援への裏切り行為と評価され得る点や、団体競技への悪影響を考えたとしても、問題行為の悪質性に照らして「辞退」(これが本人の自由な意思に基づくものなのか、周囲からの圧力で、そのように意思表示をせざるを得ないように追い込まれたのではないか、そういう点は別途問題になるべきだろう)が相当だったかは疑義があるように感じた。比例原則、ということは意識されて良いのではなかろうか。

 

「ルール」がある以上はそれに従え、というのはその「ルール」が相当なものであるのが前提にあるはずで、今回その前提が成り立つのか、という点は問題となり得る。仮に「ルール」の内容が相当なものであったとしても*1、その「ルール」が十分に周知され本人が理解できる程度の認知が得られていたのかという点や、その「ルール」の適用に疑義がなかったかというあたりも*2、各々別途検討されて然るべきではないか。更に、仮に、当人の行為が以前から問題があったとしても、そうした問題行為について、当人にのみ帰責できる話かはさらに別途検討がいるのではなかろうか。法律上成年になっていたとしても10代の若者にすべてを背負わせて良いのか。仮に和を乱すに至ったとしても、それを抑止できなかった責任は周囲の「大人」にないのか、も疑義が残るのではないか。特に閉鎖的な「管理下」に置かれている状況であった場合には、抑止もできたはずではないのか、仮に抑止できたのにしなかったのであれば、抑止しなかった側の責任は問わなくてよいのか、は別途問題とすべきではないか。

 

一旦問題行為をしたら、如何なる制裁をも甘受しなければならないというのは、適切ではないと考えるし、問題と見える行為が発覚したとしても、真に問題かどうかの吟味とその過程における手続きの適正性(問題行為者を保護して、中傷にさらされないようにするなどが含まれるだろう)の確保は必要だろう。

 

…こちらが有資格者だからこういうことを考えてしまいがちなのかもしれないが、別にポジショントークというつもりはない*3

 

*1:実体的な行為規範の部分と手続的な規範にわかれるのではないかと思うし、後者の部分については、不服申し立て手続きを含んでいる必要があるのではなかろうか。

*2:不服申し立ての手続きが仮にあったのであれば、それが適切に履践されたかは検討の対象となろう。

*3:そもそもこちらは現職での仕事以外で誰かの代理人とかになる気はない。