東京都写真美術館で展覧会2つ

先週の土曜日に雨の中(雨の分だけ花粉症は楽だった)東京都写真美術館に出かけて展覧会を2つ見たのでそれぞれ雑駁な感想をメモ。

 

深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ

恵比寿の駅から美術館に向かう通路にポスターがあったので撮ってみた。

深瀬さんの名前は、森山大道さんのエッセイなどで出てくるので知っていたものの、実際の作品を見たことがなかったこともあり、見に行ってみることにした。

写真美術館のこの展覧会のウェブページでは、氏の写真について「私写真」という表現を使っていた。確かに、今回の展示を見ると、氏が自分の生活、自分の周囲を使って写真を撮っているという印象を受けた。奥様が出勤されるのを窓から写したものは奥様の表情が良い。巻き込まれる周囲も大変だったろうなと感じる。もっとも、ご実家は写真館をされていたこともあり、ご家族もその辺りはある程度心得ておられたようでもあるが。

自分の身の回り(出歩いた先も含め)を写真に撮っていき、撮った被写体とは、結果的に関係が途切れていった結果、残ったのが自分自身で、その果てに事故による怪我で写真を撮れなくなる状態になるという経過は、自覚的に導いた結果ではないとしてもできすぎているという気もするし。その過程にはよくわからない狂気のようなものを感じた。

 

土門拳の古寺巡礼

同じ建物の地下では土門拳の古寺巡礼が展示されていた。こちらは展示室入り口前2か所に貼ってあるものは撮影可能なのでそれを撮ってみた。

また、入り口脇で土門拳の生涯と古寺巡礼についての解説をしたビデオが流れていた。

 

土門拳の古寺巡礼は他のところでもプリントを見たが、今回は、特に展示されているもののサイズが大きく、相当前の写真であっても、今のものと解像度などの点で見劣りしない感じになっていたので、フィルムフォーマットの大きいのはやはり正義というところだろうか。室内で撮られたものについては、ライティングのすごさ(撮影当時のフィルムの性能も相まって撮影には相当の時間を要したとのことである)や、これと決めたディテールに寄って行く写真の迫力には、撮る側の執念を感じた。ここまで執念を持って撮れるものがあるというのはすごいとしか言えない。