思い出すことなど

漱石とは関係なく、呟いたことを基にメモ。初職で英文契約に仕事で接するようになったころのことを思い出した。

  • 英文契約書の和訳のチェックの場合、元の契約書にどういうことが書いてあるはず、ということが想定できると、訳文だけ見てもある程度間違いは見つけられるということを、下の人の和訳のチェックをしていて実感する。契約書の和訳である以上、訳文自体を見て、契約書として文章の辻褄があっているか、という観点も入れると、余計にそう思う。長めの英文契約を読むようになった最初の頃に、関連文書を含め3桁ページの英文契約書のサマリーを作れと上司から指示が出て、併せて、僕は君の作ったサマリーしか見ないと言われて、驚いたが、それはこういうことだったのか、と20年を経て納得した。

  • 為替レートなどの過去の特定時点における事実は、当該事実を記録した媒体やその保管方法も確認しないと、実際に問題が生じて、当該事実を確認したいときに、トレースできなくなる危険があるから注意しろと以前言われたことがあるのも、TLを見ていて思い出した。そういう話をつまらないこと、と片付けてよいのかは状況次第という気がする。