現時点での印象:保管について

何のことやら。こちらの「お知らせ」などに接して思ったことのメモ。

 

上記の「お知らせ」に接して、そういえば課金は続いても、読みたいものがないから*1、アクセスしなくなっていたな、ということを思った。

関連して興味深かったのは、公開されていた原稿の扱い。データは著作者に戻ることになるようだが、当初はそのあたりが明示されておらず、おいおい、と思ったのだった。

 

電脳系の情報は、その情報が利用可能となっているのは、色々なものがその下にあって、それらのうちの一つでも利用不能になると、利用できなくなる可能性があるということになるように見える。上記の例でいえば、プラットフォームが公開をやめれば、利用者は記事を見えることが出来なくなる、ということになる。今回のように利用者に近いレベルのそれが問題となることもあれば、もっと基礎的で、利用者に遠いレベルのそれが問題となることもあるだろう。

 

そう考えると、電子データでは、長期保管、特に10年単位のそれについては、やはり困難という印象を禁じ得ない*2。長期保管だけを考えれば、紙などの物理媒体ベースが、*3、無難なのではないかという気がする。2000年にインターネット上で公開されていたものが、今どれだけ当時のままに見られるか(internet archiveとかは別にして)を考えても、その点は理解できるような気がしている。

 

こういうことをいうと、紙データだって保管場所の天災等で失われるリスクがあるというような指摘に接したりするのだけど、当事者にとっての管理可能性ということを考えると、電子データのそれの方が管理可能な範囲が狭く、それが故にリスクは電子媒体の方が狭いと感じる。電子データとして利用できているものが技術的にどうなっていて、その権利関係とかがどうなっているか、とかは把握していないのが通常だろう(それでも普通に使えるのは、寧ろ利点だろう)。把握していないものは、管理できるとは限らないから、管理可能性が狭いという結論になる可能性が高く、そうであれば、リスクは高いと見るべきではないかと感じる。必要に応じて物理媒体での保管と併用することを考えておくべきではないか。

*1:個人的には「一故人」シリーズが好きだった。最後の「故人」としてかの媒体を採り上げてくれないかなと思ったりする。

*2:そもそも10年単位での保管の必要なものがどれだけあるのか、という問題意識は理解するが、保管しておけば使い道のあるものが、保管ができずに使いようもなくなるということもあると思うので、保管できることそれ自体が重要と考える。

*3:電子媒体の方が保管以外の用途では便利なことは認めるし、その辺りまで考えた総合判断により、電子媒体のみで利用するという判断もあり得るとは思う。個人的には必ずしも与しがたいものを感じるが。