映画「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」

早稲田松竹フレデリック・ワイズマンの特集をしているのを見つけ、見たことがなかった掲題の作品を見てきた。特集の残りは、ボストン市庁舎ニューヨーク公共図書館で、いずれも再度見るに値するのだけど、いずれも長いので(汗)、今回はこの一本だけにした。

 

早稲田松竹は所謂二番館であって、今回初めて入ったが、鑑賞室内の内装は今風で、快適に映画を観ることが出来た。この特集に限らず上映する映画の選択の仕方が興味深い。ある種映画のキュレーターというところだろうか。

 

ワイズマンの作品は、例によって、解説はなしで、長めのショットの積み重ねにより事態を語っていくというもの。ワイズマン作品を見るのは3本目なので流石にやや慣れた気がする。

 

今回の題材はニューヨークの中でももっとも多様性に富んだジャクソンハイツと呼ばれる地域。167か国語が話されているというが、映画の中で日本人の気配を感じなかったものの、きっと日本人もいるのだろう*1。人種的な多様性だけでなく*2LGBTの方々もおられて、ゲイ・パレードも行われている。

 

マンハッタンまで地下鉄で30分で通えるという良い立地もあって、この地域に再開発の波が及んできている。再開発でマイノリティの方々の居場所が失われるのではないかという懸念が出てくるものの、彼らは悲観せず、言うべきことを言おうと協議をする。この映画の中ではこの話の結論は語られていないが、先行きに対し悲観的なものを感じるというよりも、困難に対峙していくマイノリティの方々の強さの方が強く印象に残った。中南米の方々がアメリカにはいるまでの苦難とかも語られていたが、そうしたものに比べれば、そうした話も大したことではないのかもしれない。

 

個人的には、思うことを口にして、言い合うことの持つ意味、ということが強く印象に残った。それは、悲しみや不安、孤独を和らげるものであったりするし、自分たちを守るための術にもなる。もちろん、そういうことが成立する前提として、相互に発言内容を尊重するということがあるのだが。そういうことがきちんと行われていることこそが、アメリカの強さの源なのではないかと感じた。多様性の中で生きていくためにそういうことの必要性がよりよく認識できた気がした。

 

最後にチケット(座席指定が手書きで書かれている)とかパンフレットなどを撮ったものを貼っておく。



 

*1:パンフレットを見ると在住の方の文章もあった。

*2:個人的には、ハラル食品の製造過程で、ニワトリの殺処分とその後の処理の様子が淡々と撮られていたのにやや面食らった。