最近の何だか(2022/3/1)

例によって呟いたことを基にメモ。

  • オフラインのものよりも、開催も参加も容易になので、webinarが盛んなのだが、正直玉石混交というか、大半は屑という気がして、どれに出るか考えないといけないと感じる。webinarの名を借りた宣伝でしかないようなものは失望で終わることが多いようにも感じる。費用もかかる話なので宣伝をするなとはいわないが、宣伝をするにしてもバランスというものがあるし、内容の質が低いと提供側に対して悪い印象が残る。個人的には片仮名系の業者主催のものは注意が必要と感じる*1
  • 修習のクラスで一緒で四大に行った人が事務所のニュースレターに出て来て、時の経つ早さを感じる。その割に自分の進歩を感じないのは(以下略)。
  • 気づき、とか、学び、とか莫迦にされている感じがして、あまり愉快ではない。そこまで開かないといけない必然性が見えないからそう思うのだろうが。
  • こちらは趣味的な部分もあって、仕事以外の時間でも法律書とかを読むが、部下を含む他人にこれを強制してはいけないと感じる。人生における時間の使い方はひとそれぞれ。考え方も色々あり得ることは忘れてはならないと感じる*2
  • 契約書の審査件数を数えることがあるが、数えることに何の意味があるのか、と常に疑問に思う。契約書審査に要する手間は、まちまちで、長さも内容の複雑さも異なるのを無視して通数だけを数えることに意味があろうはずがない。長さとか複雑さとかかる手間との間に明確な関係があるとも限らない。数値にして可視化することを説くのにも接することが有るが、その数値を使うことに如何なる意味*3があるか、明確にできない数値化は有害無益と感じる*4

*1:逆に四大が事務所の看板で行うセミナーは比較的安全というのも感じるところ。

*2:もちろん、そういうところで差がついた結果、実績などに差が生じることもあるが、そこも含めての人生における選択の自由ということと理解すべきだろうと思う。仕事だけが人生ではないのだから。

*3:意味をこじつけることはある程度可能なので、実質的に意味があるといえるかどうかというところが重要だろう。その数値により管理される側に意味が納得できるものになるかどうかが一つの鍵になろうか。

*4:もちろん、何らかの利益(昇進昇給などがわかりやすい例であろう。)を得るために、本音でどう思っているかは別として、そういう管理手法を推し進める側に「お付き合い」することはあり得るだろうが。