管理職としての何だか

表題なんかは飾りなんです。偉い人にはそれがわからんのですよ(謎)。

 

脊髄反射的な呟きを基に雑駁なメモを。こちらは、日本法のインハウスとしては若輩者ではあるが、企業での管理職経験は一定程度あるので、多少は何かを言っても良いのではなかろうかと僭越ながら感じる次第。

 

弁護士事務所の経営者の先生が、大要、弁護士がマネジメントが下手なのは、自分が優秀過ぎてそうでないひとのことが十分理解できていないせいだ、という呟きに接した。ご指摘には納得するし、この点は、企業内でインハウスとして管理職になる方々にも一定程度当てはまるのではないかと考える。

 

企業でのインハウスとして管理職をする、ということは、管理職である以上、自分の下に人がいることが想定され、その場合は自分の下にいる人をを「使って」成果を出すことが求められる、ということを意味する。その状況下で、下の人を「使わず」に自分でやって成果を出してしまうと、これは、ある種のチートというか、「使う」能力の欠如と見られかねない危険がある*1。この点は、法律事務所における弁護士(特にボス弁)とは明らかに異なるところだろう。

 

さらにいえば、企業内で「お荷物」扱いされる人を、自分の下で預かって何がしかの仕事をしてもらうというのも時として求められる*2。「お荷物」の人の出来が良くないとしても、文句を言えばいいという話にはならない。迂闊に言うと、パワハラと指弾されて、自分の方が「刺され」る結果になりかねない。そういう状況において、どのように対応するか、ということも管理職としては必要になる。そのあたりは事務所とは異なるだろう。これらの点が理解できないのであれば、インハウスで管理職をするのは無理というか、周囲が迷惑だからやるべきではないと感じる。

 

それから、管理職かどうかは関係なく、サラリーマンである以上は、社内政治の類にも巻き込まれる可能性がある。時として酷な事態が生じることもないではない。

 

そんなこんなで、給与とか労働法の保護と引き換えに、そういった必要性や危険に晒されることも認識しておくべきだと思う次第*3

*1:それが許容される状況があり得るのも事実だが、寧ろ例外的とみるべきだろう。

*2:「お荷物」とみなされている理由次第では、自分の下では「お荷物」でなくなることも可能性としてはあり得ることも否定できないが、可能性に留まることもままあるということも認識すべきかと。人間関係で躓いた人が部署を変えることで、活躍しなおすという事例はあるとしても、プロ野球選手のように「再生」ができるということも期待しないほうがいいのではないかと思う。

*3:雇用契約もある種の「取引」である以上、取引の各当事者が相手方に対して何を求めその反対給付として何を提供するか、そしてその内容について、それぞれがどう考えるか、ということが重要なのだろう。そういった意味で、両方の側から事態を眺めてみないと、自分の主観を超える形での判断を下すのは、困難なのではないかと感じる。そういう意味で、いつぞや接したような求職者側の都合だけ見ているように見えてしまう議論には、僕は、不安を禁じ得ないのである。