何のために書くのか

呟いたことやTL上の諸兄の呟きを拝見して思ったなどを基にメモ。毎度おなじみな話かもしれないがその辺はご容赦を。

 

契約書とは、単に取引のスキームを記しただけではなく*1、スキームを踏まえた当事者間の行為規範ではないかと考えている。

 

当事者間の行為規範となるものは、契約書の文言に限らず、強行法規・取締法規の類も含まれるはず。そういうものは契約書に書こうが書くまいが行為規範になるから、書く必要はないのだろうけど、書いてあることもあって、それは確認というか備忘の意味だったり、書いておくことで、違反に対しての契約解除などの措置が取りやすくなる、とか、違反により当該当事者が被る制裁の結果、被違反当事者が被害を受ける(違反当事者の営業停止によりモノの供給が受けられないとか)のを可及的に防止するなどを目的としているものと考えられる。もっとも、些細な違反であってもその種の措置が講じられるようになってしまうのは流石に問題なのだが、だからといって、M&A契約のように「重要な点で」とかつけてしまうと、その該当性についての議論が生じて別の意味で問題をややこしくしかねないし、「重要でない」違反はするのを許容するのか、みたいなまぜっかえしも考えられるので、結果的に適切な対応とは言い難いのだろう。

 

また、上記の目的で記載するのであれば、契約の履行に影響の生じる範囲で、という限定も考えられるはずである。しかしながら、そういう限定を付さずに無限定に法令違反をしないなどの文言があったりすることもある。さらには、「意識高い」系の会社と取引すると、高邁な「ご託宣」にお付き合いすることを求められたりもする。その変形として、反奴隷法とかもあるような気がする。これらはどうしたものか。こういうのは、実効性はさておき、記載を求める側にとっての、ある種アリバイ作りというか、自社のみならず自社の付き合いのある範囲にも、目先の契約書の記載を超えたところで、自社の信じる理念への賛同を求めるということで、自社の立場に疑いをもたれるようなことがないことを示そうとしているものと考える。語弊のある言い方をすれば、自分の手のきれいさだけ示せればいいという印象もある。根底にある価値観を共有していない側からすれば、傍迷惑さを感じさせるものであっても、その点を無視する押しつけがましさを感じることを禁じ得ない。この辺りは、あのあたりの国の方々のいつものやり口、というと怒られるだろうが、そういう気がする。短期的に鎖国をするのは困難なようなので、付き合うのを避けるわけにも行かないのだろう。

 

*1:取引スキームを適切に記載するだけでも、重要なことであることは言うまでもないし、複雑な取引になるとそもそもスキームを適切に記載するだけでも大変なこともある。