はじめてでも読みこなせる英文契約書 / 本郷 貴裕 (著)

一通り目を通したので感想をメモ。こちらが読む限り、いくつかの留保は必要なものの(後で述べる。)、英文契約書に取り組む際に手にする「最初の一冊」としては悪くないかもしれない。後述の留保を前提にすれば、企業内法務の管理職層にとっては、部下に自習用テキストとして渡すという使い方も不可能ではないのかもしれない。

 

非法学部卒の著者は、東芝で法務部配属となり英文契約書を接するようになり、英文契約書を読めるようになるとともに契約交渉にも関与したとのことで、その経験を活かして、英文契約などを教える講師として独立され、このあたりの著書も複数出されている。本書については、今は亡きBLJの最終号のブックガイドでも言及されていたこともあり、ブックオフで見かけたときに購入してみた。

 

本書では、ある意味「たたき上げ」の著者が、ゼロから英文契約書を読むためにまず理解すべきことに絞って解説を丁寧にしている。まず、総論的な説明を1、2章でしたうえで、個別の契約分野についての解説を3章から5章でしたうえで、所謂一般条項や契約書の修正などについて6,7章で解説している。前から順番に読むことで、徐々に内容理解の解像度が上がっていくと感じた。契約書の個別の記載については、構造の複雑な文章では、その構造を図解で解説してくれていてわかりやすい。

 

確かに、本書の記載内容をそれなり以上に理解できれば、適切な辞書を片手に英文契約を読むことは一定程度はできるようになるのではないかと感じる。セクションごとに穴埋め問題があって、理解の確認などができるのも丁寧。以上のような点から、英文契約書に接するうえでの「最初の一冊」としては有用なのではないかと感じる。

 

他方で、手放しで有用とも言いづらい気がしたのも事実。次のような点には留保が必要ではないかと感じた。

 

まず、記載は、かなり割り切ったものになっていて、英文契約における条項の立て付けや表現の背後にある、英語ないし英米法の考え方についての解説、及び、適用される強行法規(技術ライセンス契約についてであれば独禁法周りの話*1)は相当程度省略されている。これらの点については、最初の時点で学ばないと駄目、というものではないとしても、どこかの段階では理解する必要が生じるものと考える。そういう事柄への理解がないと、仮に書かれている英文契約の内容を理解できたとして、その内容に加筆することとかが難しくなる場合もあるのではないかと懸念する。そういう意味で、実際には本書を読んで直ちに実戦に突入というのはやや怖い気がする。これらの意味では、本書後の読書案内があっても良かったと感じる*2

 

もう一点。複雑な構造の英文については、構造を図示してくれているが、なぜ、図示された形に理解でき、そう理解すべきか、という点について、分析の仕方まで理解できないと、再現性に欠け、新たに接した文書を読み解くことはしづらいのではないか。そのためには、一定程度の英文法の知識が必要だろう*3

 

これらの点を理解して、足らない部分があれば、そこについてはどこかのタイミングで補うことを前提にするのであれば、本書で英文契約について独習することも、十分あり得ると思う。英文契約についての独習書の需要は今後もなくならないであろうから、適宜改訂をして*4、長らく読まれるべきと考える*5

*1:独禁法を念頭においていると思われる記載はあるが、背後にあるはずの独禁法についての言及がないため、本書の記載だけ読んでいると、独禁法についての検討が必要なことは読み取れる形になっていない。これらの点については、独禁法の基本的な本で確認しておくべきだろう。

*2:出版社の売り方との関係で、その種の記載が省略されたのかもしれないが。個人的な好みでいくつか日本語の英文契約関連の本をあげておくと(英語の本は挙げられるほど知らないので...。)、特定の法域を前提にしない英文契約の本としては、まずは「英文契約の考え方」を挙げるべきだろう。アメリカ契約法という意味では、「アメリカ契約法入門」や、樋口先生の「アメリカ契約法」,それから平野先生の「体系アメリカ契約法」と、ドラフティングについては「国際契約の"起案学"」も忘れてはならないのだろう。売買契約については、「新・国際売買契約ハンドブック」も忘れてはならない。その他の書籍については、やや古いがこちらのエントリも参考になるかもしれない。また、契約書そのものへの理解の度合い如何では、日本語の契約書についての本も併読すべきかもしれない。その場合は、定番の阿部井窪片山本が無難なのではないか。

*3:こちらについては、適宜の本で補うべし、としか言いようがない。手元には「英文法解説」の古いものとかはあるが、あまりきちんと紐解いていないので(汗)...

*4:少なくとも、Incotermsについては、発刊時点では2010だったが、最新は2020になっているので、それを踏まえて、該当箇所(第3章第3条)の記載の改訂は必要だろう。ついでに細かいことをいえば、改訂を前提にして、incotermsの特定について、incoterms 2020 as amended(インコタームズ2020年版によるが、改訂された場合には改訂後のものによる)という表現もあり得ることも言及があるべきかもしれない。

*5:本文でコメントしたように、ある意味で「割り切った」本なので、細かいところを見ると色々言いたくなるとしても、それらについて事細かに何かを言うのは野暮という気がする。と言いつつも、本文で書いた本の価値に影響するとは考えにくいものの、気になった点を一つだけ、メモしておきたい。
第4章の秘密保持契約の第6条、秘密情報の例外のところに、次のように記載がある。

The obligation set forth in this Agreement does not apply to any information which

(中略)

(vi) is required to be disclosed under an applicable law, governmental order or judicial order.

(中略)のところには、公開情報、受領者の本契約違反なしに公開されるに至った情報、開示以前から受領者が持っていた情報などがあり、これらと同列に上記(vi)の記載が存在する。法令上そもそも開示義務がある情報はさておき、政府機関または裁判所からの命令で開示が求められたとしても、その命令に基づく開示が本契約違反にならないという限度でこの契約上の義務違反を免除すればよく(本書の例文で言えば、第2条の例外として規定すれば足りるだろう。)、一旦前記の命令が出たら、この契約の義務の一切を免除するところまで規定してしまうのは適切ではないというべきだろう。前記の命令以後は、誰に対しても開示可能、如何なる目的でも使用可能、となるのは不適切だろうし、前記の命令に対して開示当事者側がprotective orderの類を得て、前記命令に基づいて開示した相手以外に対しては開示されない状態を確保した場合を考えれば、なおのこと不適切なのではないか。著者の意図が読めなかったので気になった。