とりあえず、本音を申せば /小林 信彦 (著)

恒例の小林さんの週刊文春でのエッセイをまとめたもの。例によって図書館で借りて*1目を通したので感想をメモ。

 

このシリーズでは、闘病記の「生還」を含め*222冊目。ここまでは一通り目をとおしているはず。中野翠さんのサンデー毎日での連載とこのシリーズについてはそうしている。小林さんの連載自体はつい先日、唐突に終わりを迎えたので、この本の次の巻で、終わりになるはずだが、それが出るかどうか、というところだろうか。連載が終わったのも、僕には理由が見えていないのだが、氏なりの「引き際」に対する考え方の反映なのかもしれない。ともあれ、連載終了後のインタビュー(原稿にまとめられたものを見る限りではご本人はある程度お元気なように見えたが)とともに何とか一冊になってくれると良いのだが。

 

ご本人が、脳梗塞の後遺症で、左半身が自由にならず、車椅子に乗りデイケアに通う状況であり、さらにコロナ禍もあるので、ご自宅などでテレビやDVDを通じて映画を観る話が多くなる。それでも最近のものを観ることはできるはずだし、以前ならそうされていたと思うのだが、そうしていないのは、まだ不調が残っているからなのだろうか。最後の方でプレイボーイ誌のグラビアでアイドルのファンになった旨書かれているから、まだ復調途中だったのかもしれない、と感じた。

 

古い映画の話は、こちらの不勉強によりほぼついて行けていないのだが、それはいつものことなので気にならない。今回はその種の話が大半だが、それ以外の話が興味深いので、いつも読んでいる。

いくつか特に印象に残ったところを箇条書きでメモしておく。

  • 連載中に亡くなられた志村けん*3についての言及の仕方。小林さんが喜劇人(志村氏が含まれるということについては問題はないだろう)について書く場合は、通常は、自身との接点を中心に書くから、接点のなかった志村さんに対しての書き方は他人行儀という印象が残ったが、やむを得ないのだろう。その割には長めに複数回で言及しているから、小林さんの中での評価は低くないのだろう(マルクス兄弟ばりのミラー・シークエンス沢田研二氏相手にこなしているのだから当然だろうが)。
  • コロナ禍の最初にあったクルーズ船の件について、大型客船が横浜に寄港することの経済的な意味についての指摘は、個人的には綺麗に抜け落ちていたので、なるほどと思った。小林さんは横浜で働いていた経験もあるから、その辺を忘れることはないのだろう。
  • 東京五輪延期について、一年先はむずかしいのではないかとの指摘(2020年4月9日)。それとともに、次のような指摘も(同年3月19日付)、実に「らしい」と感じる。
    とにかく、今の総理大臣をこのままにしておいて、東京オリンピック強硬は無理があると思う。具体的なことは知らないが、勘で言えば、オリンピックでもうける人たちが蔭で動いている、という気がする。勘とか匂いを重んじる私は、危険な匂いからは遠ざかっていたいのです。臆病といわれれば、はい、と答えるしかない。
  • トランプ大統領に関する、ボブ・ウッドワード氏の記載についての文章は、これを現在のこの国の首相に置き換えても通用してしまうのではないかと感じるのが何とも憂鬱である。
    • ボブ・ウッドワードの本では、もう手がつけられないと思った関係者が(こうなったら大統領は演者で、われわれは演出家と考えようではないか)という恐るべき結論に達するところが途中にある。大統領もまわりの人々も<馬鹿>とみているらしいことが、なんとなくわかる。まわりの人々も(彼[ドナルド]は馬鹿だ。どんなことでも説得しようとしても無駄だ。彼は正気ではない。私たちは狂気の町にいる)と考えるのが当り前になってくる。
     

 

この連載が終わると、定期的に単行本化されたものを読むのは中野翠さんのものだけになるが、あちらもどうなるか。小林さんについても不定期で構わないので、エッセイを書き続けていただけないか*4、と思うばかり。

 

*1:買っていると置く場所が足りないので、このシリーズについてはそのようにしている。東京の町について書かれた書籍は手元に置いているのだが。

*2:この本を数に入れるかについては悩まれたようだが、個人的には含めて正解だと思う。

*3:他方で、同様に亡くなられた岡江久美子さんについての言及がないのは、氏の観測範囲にかからなかったということか。

*4:氏の小説は、シリアスなものほど相性が合わないので手に取ることがないので...。