それはどうかな

それはどうかな、と思う事案に接したので、例によって呟いたことを編集したもの。

 

パワポ職人の方が契約書の見た目をいじっているのに接した*1。確かに、見た目は見やすくなっているような気もしないではない。

 

とはいえ、文章の図式化とか要約とかまでやってるのは、ちょっと危険な気がした*2。そうした作業の過程で表現されていたことが抜け落ちるとどういう問題が生じうるか理解しているのだろうかと思ったりもする。契約書は、確かに必ずしも読みやすくはないけど、ああいう形になっているのは、それ相応に理由とかがあることなので*3、そこに対して無邪気に手を突っ込む場合には慎重さが必要な気がする。ことに、この種の見やすさ追求は、往々にして、契約書において例外的な事象も含めて想定可能な事象を網羅的に拾おうとしているのと相反する動きをするような気がするので余計にそう思うのだろうが*4

 

盛り込むべきこと、読み取られるべきことを確実に読み取る上では、いじる前のものの方が読みやすいということも当然あるのだが、それは、そう感じる読み手の側が、契約書を読む、理解するということについての一定以上の弁え*5があるからであって、そういうものを十分に持っていない人が別異に感じたとしても、それはそれでやむを得ないのではないところもあるように思う。

 

他方で、敢えてああいう試みを評価しようとするのであれば、文字組とかで読もうとする努力を減退させる側面を可能な限り(その範囲の当否に問題があるわけだけど)減らしたいという問題意識ではなのだろう。結局のところ、問題意識に対しては、必ずしも適切な解決方法とは言い難いということになろうか*6

 

【追記】

up後に二次妻・無双御大から、契約書のサマリーをつくるのと同じ話では、という趣旨のご指摘を受けた。確かに似ている。サマリーにする過程で落とした内容が「悪さ」をする可能性とか、作り方が不適切で読み手に誤解を与える危険とか、サマリーが独り歩きをしてオリジナルに顧みられなくなる危険とかも。サマリーはサマリーでしかなく、必要に応じてオリジナルに戻る必要があることはなかなか理解されない。これはサマリーだけ読んでも、オリジナルに戻るべきかどうか判断ができるようにならないからなんだろう。

 

もちろん、だから作るべきではないとまでいうつもりもない*7。状況によっては作ることもあるだろう*8。特に決裁用に作ることもあるだろう(そういうときのものは、法務部門で作るのが筋だろうと思う)。とはいえ、そこでは上記のような危険があることを踏まえて検討することが重要と考える次第。

*1:ご当人に抗議をする意図はないことなどからリンクなどはあえてしないでおく

*2:もっとも、見出しを強調するという行為ですら、見出しがその下の内容を正確に反映していないとき(契約交渉の中で文言が変化していく過程では、その種の危険が生じることも想定可能なのだが)には、誤読の原因になることも理解されるべきなのだろう(だからこそ、その点も踏まえて英米系の契約書では「見出しは契約内容ではない」という趣旨の条文が置かれることがあるわけだし)

*3:もちろん、それを踏まえてもなお、起案として読みにくいものがあるのも否定はできないのだが(汗)

*4:同じような議論が霞が関で使われる「ポンチ絵」に対しても当てはまるのかもしれない。あれも、含むべきものを含むことが重要視されているように見えるのと、そういう形式の文書を読み解くことに読み手が慣れていることを前提にしているように見えるから、その限りでは、たとえパワポの本来の使い方からすれば「邪道」で、プロのパワポ職人の方の批判があったとしても、問題はないというべきなのではないか。

*5:当節流行りの言葉でいうとリテラシーといっても良いのでしょうが

*6:こちらの視点からすればいつぞやの秘密保持契約書の統一化のような議論と似たものを感じるのだけど…。

*7:パワポだって作るなという主張をした覚えはない…のだが…

*8:手間が増えるので個人的にはしたくないが。特に契約交渉と並行していると手間がふえるし、下手をすると、整合性等が不十分になってそれ自体が危険の種にもなりかねない。