最近の何だか(2020年6月17日)

例によって例のごとく、呟いたことを基にメモ。

  • 評価の入る概念については、評価の基準が不明またはあいまいもしくは恣意的だったりすると、論者の「お気持ち」を述べているのと区別がしづらくなるような気がする。「最強」の何とか、とかもその一例かもしれない。

  • 同様に、「フェア」な契約というお題目も曲者という気がする*1。「フェア」かどうかをどのような観点から図るかについて、認識の一致を見ることが可能なのか、というところからして疑問。仮にそれが可能だとして、特にゼロサム状況下の場合であれば、そのような「フェア」な条件を受け入れることは、短期的には自分にとってマイナスになり得るわけで、そのような行為がどこまで正当化できるのか、というところも疑問の余地があるように思う。契約交渉の迅速化などの他の効用の存在をもって正当化しきれると言い切れるのかどうかも疑問。

  • 裁判の公開と裁判を受ける権利との間にはある種の緊張関係が想定されると考える。したがって、前者のみを優先する議論は時として不適切な事態が生じうるとと考える。個人的には、この程度の話は法曹でなくても想像はできると思うのだが、想像できない人はいるのだろう*2。自分が当事者になって、私事を傍聴人の前で明らかにされたいかという想像力の問題と思うのだが。

  • 海外ではなされているから日本でもするべきだ、というのは、海外と日本との諸々の差異を踏まえたうえでいうのならば格別、それらを十分に踏まえずにいう短絡的な言説はまずいのではないかと思うことが多い気がする。却って害を生じさせる危険があると思われる。

  • 僕ごときが言うのは僭越だけど、「法律実務」は時として依頼者の一生を左右する可能性のある「危険物」と感じる。そういう意識と、そういうものを扱おうとする覚悟がないまま携わろうとする者は、その者の能力や、扱った結果がどうであれ、ある種の危うさを内包することになるのではなかろうか。

     

*1:一見して良さげに見えるこの種の言葉は、概ね眉唾と思っていた方が良いのかもしれない。

*2:不競法に基づく保護で救える範囲には限度があるので、不競法の適用でこの辺りを何とかしようとする発想には限界があるのではないかと考える。