最近の何だか(2020年3月中旬)

例によって例のごとく。

  • 某事象については、キラキラ方面の思い付きが、周辺領域との調整なしに発生して、周囲に混乱を巻き起こすという感があり、汎用性がありそうな迷惑さ加減という気がした。善意と資源があるだけで、十分な思慮や配慮を欠き、短期的であれ被害を被る人のことを考えていない(ように見える)のもいつもながらのこと。経済的利益に留まらない被害が出ることをどこまで考慮しているのか疑問*1
  • 企業内での組織や仕事の割り振り方は種々様々なので、個別の案件について、「指名」が可能かどうかも異なってくることがある。そのあたりを踏まえない議論には違和感がある。想像力の欠如ゆえのことだろうが。
  • 何でもかんでも情報公開というのが適切かどうかは事案によって異なる可能性があると思うのだが、その辺無視した公開ありき・公開万歳みたいな議論に接すると、ポジショントーク含みと確信していても、げんなりする。
  • 外に出せる話と出せない話があるのは世の常だから、キラキラした「成功談」が存在していることの有効性は、割り引いて考えるべきと思う事案に接した。「成功談」の存在と「失敗談」の存在は両立しうるのに、後者は出ない可能性があるわけだから。
  • 某特措法の緊急事態云々は、禍根を残す予感。暴走の危険への歯止めが不足している(ないに等しいようにも見える…特に現政権のやり口との関係では)ように思う。異を唱えた某議員に敬意を表したい。
  • 自粛も悪いとはいわないが、某ウイルスとの戦いに勝っても経済的に「詰んで」自死に至るようなことになっては意味がないので、「経済も回す」ことも考えないと流石にまずいのではないかという気がしている。
  • あの法相の発言は、法相自身の精神面の不調のなせる業なのではないか。罷免なり何なりして休養させるべきではないかと感じる。 

*1:ましてや、背後に自分自身の税制面での利益獲得の意図があるという説まで出てくるとなると、火事場泥棒という印象すら抱いてしまう。