最近の何だか(2020年3月あたま)

TL上で見たいくつかのことについての脊髄反射的なメモ。呟いたことを基に。

  • この騒ぎで、自宅から仕事という方が増えている(こちらは違うけど)。それに伴い、打ち合わせなどをインターネット回線などを通じて行うことが必然的に増えることになるものと思われる。この点に関して、打ち合わせに出ている人間の顔をビデオで映すことが必須みたいに読めるつぶやきに接したけど、個人的にはその効果には疑問を感じる。打ち合わせに必要な資料の画面共有と音声だけで足りないかと感じるからで、以前の顔の写るビデオ会議のみよりも、画面共有ができるようになったことで会議の効率は上がったと感じるし、大抵の場合、声が聞こえれば顔が見えなくても支障はないというのがこちらの実感なので*1。寧ろ顔が見えないと困るような話については、F2Fの打ち合わせの場を設ける形での対応が必要になるのではないか。この種の会議が日常化する外資系にいたときのことを思い出すと、法務内では、平常その種の形の会議で物事が進むよう、人的なnetworkを作る場が、グローバルミーティングの際に意図的に設けられていたことを思い出す。
  • 司法のIT化とやらで、こちらも弁論準備手続にネット経由で参加とかもしているが、現時点では、費用対効果に疑問なしではない。とはいえ、お役所で、上から言われてやっているのは仕方ないところで、しかも、各種の制約要因の中で、何とか折り合いをつけているところなので、そのあたりの事情を踏まえないで、「外」から批判しても有害無益ではないか。
  • 論理的整合性又は一貫性を欠き、恣意的に見える施策、これらの点に対する説明の不十分さ、実施に際しての適正手続きの欠如、現状で見られるこの種の事象は、判明した時点で適時というか即時に批判すべきという気がする。今、優先順位が高くないという批判は想定可能だが、それなら、今まで、その種の事象を事後的に十分批判してきたのか、それをしていないから、この事態になっているのではないかという気がする。目先の優先順位に流されて事後的な批判が不十分になってしまうなら、都度その場で批判する以外ないのではないか。特に、事後的な批判の前提となるべき記録が十分に作成または保管されない可能性があるのであれば、それ以外の選択肢は事実上存在しないことになる。その状況下で先のような批判は、結局批判自体を故意に封じることに加担することになりかねないのではないか。
  • 日弁連の会長選挙に郵便で投票を済ませた。結局入れるに値する候補はないという判断の下、意図的に無効票を投じた。

*1:もちろん副次的には、女性の場合はメイクを省略可能という利点も指摘可能だろう。男性でも身づくろいがある程度省略可能という利点はあるだろうが。