最近のぶつくさ

最近の諸々を見ていて思ったことを箇条書きでメモ。個別の事例に過度に引きずられないように抽象度を上げてみたつもり。

  • 批判の内容の正しさが批判の伝え方の不適切さに優先することは、寧ろ稀なのではないか。「専門性」に基づく内容の適切な批判だからと言って、何をどう言っても良いというものではないだろう。批判対象が困難な事象に立ち向かっている相手が批判対象であればなおのこと、批判対象に対する敬意を欠いてはいけないのではないか。いきなり現場に乗り込んで、諸般の制約条件の中で戦っている方々の活動を、頭ごなしに批判するかのごとき言説を全世界に向かって発信するというのは、著しく敬意を欠いたものに見えてしまう。
  • 特定分野の「専門家」であることは、他の分野については「素人」であることを意味するはずである。そして、現代で、現時点での知見では対処困難な問題に対しては、特定分野の「専門性」のみで対処可能なことは寧ろ稀なのではないか。特に公権力が強制的に私人の権利を制限する結果を招来する場合には、諸々の制約条件からの多面的な考慮が必要となるのであって、特定の「専門性」で片付く話ではないのではないか。仮にそうであるとすれば、その「専門性」からの批判については、「専門家」がその「専門性」ゆえに諸般の制約条件を無視して「暴走」する危険につき、「専門家」自身が自覚的であることが望ましいのではないか。自分の言説が特定の状況下において力を発揮する可能性がある以上、力の持ち主としてはその言説の力の発揮のされ方に自覚的であるべきと思う。
  • 危機的状況の現場で、人の出入りの管理が必要な状況の下、当該現場の責任者的な立場におかれれば、必要な手続きを履践したかどうかわからないまま入ってきた「専門家」なる者が仮にいたとすれば、その言説にどう対応するか以前に、現場の統制という意味で、その現場における人の出入りの制御の適切さに目が行くのはある意味やむを得ないのではないかという気もする。「専門性」ゆえに現場の管理を無視して良いというものではあるまい。