こだわる理由

てにをはにこだわりすぎていてくだらない、という内容(と理解した)の言説に接した*1

 

確かに、過剰なこだわりということもよく見るような気がするし、契約書とかでは法的な効果への影響がどこまであるのかわからない点へのこだわりは、却って有害なのではないかという気もする。契約交渉が長期化して、契約締結が遅れることによる不利益が想定される場合は特に。そういうところでは、くだらない、という評価はあり得ないとは思わない。

 

その反面、上記の言説は、商社でそれなりの意思決定に使う資料についてのもののようなので、その場面ではちょっと違うのではないかと思う。ある意味、「賭け」をしようとしているときに、「賭け」に伸るか反るかという判断をする際には、細部まで検討したうえで、その判断をしたいと思うのはある意味当然だろう。特にその「賭け金」が大きければ。そういうときには、資料のてにをはからあやしければ、どこまできちんと検討しているのか、読み手に疑義を与えることになり、意思決定が遅れる原因になるし、そういうものを読む羽目になる側には苦痛になりかねない。

 

そういう意味では、上記のようなところでは、てにをはにこだわることにも一定の意味があるということになろう。そして、そのあたりの間合いがわからないとなると、仕事としてやっていてどうなの?と思ってしまう。

 

つまり、こだわっている相手がなぜこだわるのか、その理由について可能な限りの検討もなしに、こだわっていることを一方的にけなすのは適切さを欠くのではないかと思う次第。

*1:具体的言説へのリンクとかは一応避けておく