縛り方の問題?

昨日のエントリの続き、めいたことのメモ。

 

NDAを結ばないと明言した某社の、元の呟き主以外の方が、結ばない理由の正当化としてあげていたのが、レピュテーションリスク。要するに、評判商売の稼業で、おかしなことをして、変な評判が立ったら商売あがったりだから変なことはしません、だからNDAなんか結ばなくても問題ないです、ということのようだ。

 

上記の理解が正しいとして、それで納得するかというとnoということが多いだろうと思う。NDAに限った話ではないけど、契約を締結しない場合に、締結していたら防げた損害が生じる場合、それに対して十分な救済が上記の仕組み(という言い方が良いのかは不明だが)で得られるか、というと、正直よくわからないように思う。つまり、損害が生じないように、歯止めがどこまでかかるのか、損害が生じたらどうなるのか、いわゆるレピュテーションリスクが生じることにより、そのあたりがどこまでカバーされるのか、確実さと定量的な額が不明だから、というのがnoの結論につながる理由の一つになるような気がする。

 

裏を返すと、その種のレピュテーションリスクによる縛りで、契約書に代替できる場合が、仮に存在するとなると、それは、その両者が確保されるものと納得が得られる場合が含まれると思われる*1。そのような納得が得られるのは、実際に損害が生じた、または、その危険性が高い際に、実際に「被害者」側に救済がもたらされ、その救済が「被害者」にとって納得のいくものであった場合に限られるのではなかろうか。おそらくそれは、ある種「閉じた」世界でないと難しいのではないかという気がする。今回の元の呟きの業界の方々が範としていると思われるシリコンバレーあたりでは、そういう納得が得られる世界が成立してい模様だが*2、そういう話を見るとそう思う。まあ、いずれにしても、そのような前提が整っているとは見受けられないところで言われてもね、と思ったのだが。

*1:もう一つ、それ以外の選択肢が一切存在しない場合も、想定可能なのかもしれない

*2:isologueさんあたりでもそういう話があったような…