言葉になるかい?

先日つぶやいたことを基にメモ。

 

暗黙知言語化というのが、言われることがある。言葉になっていない暗黙知の形だと、他人への伝達、他人との共有がしにくいので、言語化して、共有ないし伝達しやすくしようと思うこと自体は、思いつきやすいことだと思うし、それ自体否定すべきものではないのだろう。

他方で、その試みには、限界と危険があるよなと感じるのも事実。

 

まず思うのが、言語化されたことが独り歩きする危険。言語化された対象を見ずに、言語化されたもののみを見てしまう危険があるような。その場合に、言語化しきれなかった、または、言語化した側は言葉に含めたつもりでも、そうとは受け手に認識されなかった事柄については抜け落ちる危険がある。

次に、言葉にするにしても、評価や感じ方の入る部分は、感じ方等が異なると理解されない危険があって、結局のところ通じないところは通じないという危険もあると思う(こちらの経験に基づくところなので、こちらの経験の仕方に問題がある可能性が排除されないことも理解はしているつもり)。

 

こうした事態については、おそらくは不可避の危険なのだろうから、その危険を意識しつつ進めるしかないのだろう。個人的には、感じ方を見て、伝わると思った相手にのみ伝えて、後は諦めるという発想が妥当だろうとは思っているのだけど。