例によって例の如く,TL上で見たものについて感じたことをメモ。
「NDAの文言交渉という無駄・趣味の世界」という表現に接した。
いかなる契約書であっても,時と場合によっては,契約書の文言についての交渉が必要になる事はあって,NDAについても,その例外ではない。確かに,文言にこだわりすぎると,無駄・趣味に見える可能性があることは否定はしない。そうならないように自戒すべき点があることも否定はしない。そして,NDAのように類型化しやすく,かつ,広く使われている契約類型については,その辺りの弊害がわかりやすいように思われる。しかし,前述の表現のように一律無限定に,無駄・趣味などと切り捨てるかの如き表現には違和感が残る。
仮に,交渉の開始から締結までの時間軸の中だけで見て,無駄なり趣味性が高いだけのように見えたとしても,それが,結果的にあとから見たら,機能してしまう場合もあるから,無駄とか趣味的とか言うことについても,無駄とか趣味的と言ったことについて責任を取れない外部の人間が安易に言うことが適当なのかどうかも疑問が残る。
威勢がよく,射程の大きな言葉を振りかざすのは,素人受けは良いのかもしれないが,状況が見えるだけの知見があれば,呆れられて終わるだけになりかねないと思う。状況が見える層を相手に対して何かを売り込もうとするのであれば,問題になるのではないか。