最近のあれこれ(2019年8月下旬)

例によって呟いたことなどを箇条書きでメモ。概ね,感じた違和感についてのメモというかエアリプ*1だったりするのだが。

 

 

  • ある呟きに接して感じたのだけど,特定の分野すべてを見尽くしたわけでもない(原理的に無理なはず。士業の分野であれば守秘義務とかの制約もあることも考えると…)のに,当該分野について断定的な物言いをするのは,単に発言者の視野の狭さとそれに無自覚なまま,不遜な呟きをしてしまう見識の狭さを示すだけのような気がする。
  • 不摂生の結果,ポックリ逝くのであれば,まだ害は少ないのかもしれないけれど,そうならずに,生き残って闘病とか介護とかが生じるような事態になると,本人も大変だし,周囲も大変。そこのリスクは見過ごされがちなのかもしれない。
  • 公開する,可視化するという行為は,時としてそれ自体が正義みたいに見えることもある。しかし,公開・可視化する対象の中に脆弱性とかを含む場合は,そこにつけこまれる隙の存在も明らかにしてしまうことになりかねない。その弊害の可能性を認識しつつ,そこへの対応を考えずに,突き進んでしまうのはある意味で,無責任ではないのかという気もする。そのあたりの考慮抜きで,手段の自己目的化みたいな事態になるのは避けるべきだろうと思うのだけど。
  • 存在する技術からすれば特定の機能を実現可能なことと,当該技術が当該機能を一般的な意味で十全に実現可能なように実装されているかは別の問題となりえて,後者については,外部からは観測しづらいこともある(特に当該技術に対する知見に乏しいものにとっては)。なので,新規技術に対して慎重になることは必ずしもおかしなことではないと思う。
  • 技術を使う場合,特定の課題を解決するために使うはずで,当該課題を解決し,かつ,弊害を起こさない範囲で使うのが適切な使い方となり,そのために,当該技術で実現可能な内容のすべてを使わなくても何ら問題はないはず。使うことによってえられる課題解決に伴う便益と使うことによって生じる弊害とを比較衡量して後者の方が大きければ当該機能は使わないのが正解ということにもなり得るはず。
  • 新規技術,特に,守秘性の高い情報を扱う技術の場合,新規の機能を喧伝するのも大事だけど,それ以上に,当該機能以外に,何もしていないことを保証するのも大事なのではないか。勝手に情報を当該機能を果たすために必要な範囲を超えて分析して,「活用」されていないか,という点への懸念はあると思うので。もっとも,技術上というよりも商売上シヅライのかもしれないが。

 

*1:そういう性質なので,抽象度は意図的に上げてある。通じる人に通じれば良い話なので