違和感の示し方

時として悩むのが違和感の示し方。別に仕事に限った話ではない。

 

改革*1とやらをお題目に,今までの「しがらみ」を無視して偉そうな事柄を唱導される方々を時折拝見するのだけど,上手く表現しづらい違和感を覚えることが多い。

 

例えば,立法過程とかに影響を及ぼす方面でその種の行動を起こされている方とかを見ると,単に自分の周囲30cmにとって都合が悪いから,はたまた,単に自分の収益源との関係で都合が悪いから唱導しているだけなのではないか,と勘ぐりたくなることもある。もちろんそういう動機から出発することそれ自体は悪いとは言い切れない。とはいえ,そういう場合にも,自分とは異なる利益状況の方々のことをどこまで配慮できているのか,というところや,自分たちのしていることが所詮前述の程度でしかないということに起因する後ろめたさみたいなものに,後ろめたさみたいなものが欠如しているように見えるのを見ると,正直拙いというか幼いという印象を持ってしまう。

 

…例えばこういうような形で違和感を,言葉にして見るにしても,自分の中で色々考えてようやく言葉にすることができるので,考えれば考えるほど迅速性からは遠くなり,敏捷性優先で,「やった者勝ち」になりがちなところでは,不利になりかねないような気がする。

 

とはいえ,何もしないことで,間接的に,かような動きの片棒を担いだみたいな結果になるのも,こちらの精神衛生上よろしくないので,蟷螂の斧などと言われようとも,違和感については,この場に限らず,何らかの形で自己の外に表出させておく必要はあるのだろうな,と感じる次第。

 

 

*1:イノベーションとかむやみに片仮名を振りかざすのも知性の欠如を推認させるような気がして,少なくとも,僕の好みではない