どこまでも,とはいかず

昨夜書こうと思ったけど,すっかり忘れていた*1のでメモ*2*3

契約書とかの審査等をしているときに,時々?問題となる条項に,責任限定条項*4がある。要するに,何か問題が起きたときに,責任を取るとしても,取る責任について,何らかの限定をかけようという条項。金額的上限を切る場合とか,それ以外の形で責任を限定するもの(損害の種類に着目して,責任を負う範囲を直接損害のみに限定して,間接損害などは責任を取らないとするものとかがある)等がある。契約書の締結により実現しようとする事業そのものの内容に直結しない条項ではあるものの,有事?の際には損益に直接に影響するので,軽視できない条項だろうと思う。

 

自社の供給したもの・役務について,問題があれば,責任を取る,というのは,企業としては当然といえば当然だけど,責任をどこまで取るかというのは,責任を取ることそれ自体とはまた別の問題として観念できると思う。サプライチェーンが長くなって,工程が複雑になると,特にその川上にいる業者にとっては,自社の製品の不具合が,結果的に世の中にどういう形で現出するか,予想もしづらければ,制御もしにくいということもある。1個10円の部品が,1000万円の高級車に組み込まれて,当該部品の不具合のみに起因して,複数の人身事故につながったうえに,当該車のリコールに至ったような場合を考えると,10円の部品で利益もそれなりのところで,上記の事態の全責任,金額規模で言えば,数億円を下らないこともあるだろう,を取れと言われても,取り切れないということになるだろう。こういう例は最終製品が車に限らず,人の生き死にに直結するようなもの(例えば医療機器とかAEDとかもそうだろう)については,同様に当てはまるのかもしれない。どこまでも責任を取るというのは,事業としては無理がある。

 

そういう場合に,保険を想起するのは自然な発想だろう。とはいえ,PL保険とかでカバーできれば良いけれど,カバーしきれるとも限らない。また,付保することでカバーされたとしても,保険料が高くなって,結果的に原価が上がるということもあるかもしれず,そうなると,採算面に商品・役務を供給できないということもあり得る。当該商品について,社会的需要もあって,供給もしたいけど,そういう点が足かせになる可能性もある。

 

そういうことを考えると,責任限定を契約上入れておくことで,供給が可能になることには,自社及びそれ以外にとっても,一定の意味があると思う。責任限定条項は,そういう意味で,取るべきリスクの範囲を限定することで,リスクを取りやすくするという機能があるから。こういう機能は,ある意味で企業のエゴかもしれないが,エゴと断定しきれるのかについても,留保すべきと考えるところ。

 

こうした条項が機能を発揮するのは,サプライチェーンの川上の企業だと,主に,最終製品が世に出てから,となるのだろう。それがいつのことかは,川上企業側ではコントロールのしようがない。自社で製品の供給を辞める場合には,製品の性質上可能であれば,顧客側の製品供給終了時まで買いだめしてもらうなどの対応を取る場合もあり,また,最終製品の供給との関係では,アフターサービスとの関係で,自社が締結した供給契約が終了しても,なお,自社の顧客が,その顧客との関係で供給義務を負っている間は供給を求められることもある。そういう場合は,顧客側での自社製品を使用した製品の供給終了以降となることもあろう。そして,顧客側がPL法上,または,不法行為法上の責任追及をいつ始めるかも,コントロールできない。最終製品で不具合が起きて,当該不具合が自社製品に起因すると判明するのにも時間がかかることもあるかもしれない。

 

こうした事態に対して,時効の主張が可能な場合も多いだろう。しかし,時効の主張をすることがビジネス的に可能でない場合もあろう。継続的な取引の場合とかにはそういうことも想定可能だろう。そういうときにも,責任限定条項に基づく責任上限の主張が可能な場合もあろう。少なくとも,責任負担の交渉の材料にはなる。

 

そういうことまでも考えると,責任限定条項は,契約の有効期間だけではなく,その後においても有効なことがあるし,その御利益を享受すべき期間については,当事者間のみで決められるものとも限らない*5。こう考えると,その保管期間はできるだけ長くしておくべきという考えておくべきではないかと考える。

*1:その時点で疲弊度合いがわかるな…

*2:ちなみに本エントリのタイトルを書いたときには脳裏をこちらの曲のサビの部分がよぎった

*3:以下は当方の,主に,元メーカー法務の「中の人」の経験に基づくものであることを付言しておく

*4:単体で別の書面にする場合もあるが,それも含めて考える

*5:以前あるところで,契約の当事者間で決めた保管期間だけ保管しておけばいいと理解可能な言説に接した際には,ここに書いたようなことを考えていたので,いくらなんでもnaiveすぎやしないか,と頭を抱えたのであった