林檎と林檎

なんじゃそれ(苦笑)。思うとことがあって,自分の備忘のためにメモ。実質的に同内容をなんらかの形で表出させたような気もするけど,そこはご容赦を。

生々しく書くと燃えそうなので,あえて抽象度をあげてみようか(要するにわかりにくく書こうかということ),ということで以下のような感じで。時々こういう形で議論をするのが極端に下手な人がいるけど,抽象度のレベルを上げ下げしつつ議論をできるのも重要な能力だと思うのでありますよ。

 

新しいことを取り入れるときに,取り入れに伴う直接の費用はまあ,見えやすい。お金が出ていくとかなら特に。でも,それにより失われるものというのもあったりすることもある。失っても問題がないのならば無視するのも一案だろうけど,そうとばかりは限らないのではない。とはいえ,お金の出入りのあるものではないから,直ちには見えにくかったりする。 見えにくいから存在しないものと考えがちなのは言うまでもないし,取り入れるべきものを売り込む側がその存在を無視するのは,売り込みとしてはやむを得ない側面があるのだろう。しかしながら,そういうものまで計算に入れないと,取り入れ前と後の正確な比較にはなっていないのではないかと思う。英語で言うときのapple to appleになってないという懸念を覚える。正確な比較になっているのか,は表向きに見えやすいところばかりを見るべきではないと思うわけだ。見えないものを見ようとする能力,認識しようとする能力が大事という気がする。

 

また,失われるものというのは,主観的に失われるという意味合いで捉えるよりも,客観的な意味で,果たされていたものが果たされなくなるという意味合いで認識する必要があると思う。

 

そんなこんなを考えて,失うものがあっても,得るものがあって,それなりの均衡が取れているのであれば,経営判断の問題として,採用という結論になってもおかしくはないのだろうけど,結論に至る過程について,必要な考慮が十分されているかという観点から見ると,心もとないような気がすることがある。