Looking Back

小田和正だな…(古),というのはさておき。

某センパイ驥尾に付す形ではあるが,忘れないうちに一つ前の元号を振り返ってみる。次の改元のときにこういうことができるかどうかはわからないし…。

 

前の改元のときは,高校生3年生だった。寝坊したら代替わりが生じていて,気がつくと元号が変わっていた,という感じ。最後の共通一次の前で,それどころではないという風でもあった。

 

結局浪人して(当初から親と高校の教師の想定通りだったと,後から言われた),第一志望の大学に入って,思っていたのとは若干ずれた形で大学生活を送った。サークルの部室にたまることは想定してたが,ほぼ常駐みたいな形になることは想定していなかったし,反面で授業での勉強は,思った以上にしなかった。教室の外で学んだことは一定程度はあったけど。

 

いろいろ悩んだ末に,就職先を選んだところ,関西勤務となり,赴任したら1年目の終わりに阪神淡路大震災があった。4年半経過して東京に戻る際に法務部なるところに配属になり,そこから法務部門でのキャリアが開始となった。国内法務を4年半したところで,留学含みで海外法務に異動となり,そのあたりからblogも付け始めた。平成の半分弱はblogをつけてながら過ごした形になる。

 

というわけで,先の高校卒業手前から,大学生活,就職を経て,blogを続けつつ,留学,海外赴任,転職&帰国,NYBar合格,転職その2,3.11,転職その3,司法試験の勉強,合格,退職して修習,弁護士としてのスタートを切る,というところまでが平成の中に収まっている形になった。さすがに30年あれば,いろいろあると言うべきなのだろう。都度都度いろいろ考えて,その場でできるだけのことをして(できたことがその時点での実力というべきだろう),今ここにいるわけで,これまでのところでお世話になった方々には感謝しかない。

 

ともあれ,次の元号の下でもじたばたしながらやっていくということには変化はなさそうで,そういう状態を面白がれるのであればそれも良いのだが,そういう余裕が保てるかは心もとないところである。その場その場で,持続可能な範囲で,精一杯のことをするしかないのだろうと,今はぼんやり思うくらいである。先のセンパイも述べておられたことにも関連するが,その場その場で自分にできそうなことから,嫌がらずにやっていくこと,そこから道が開けることもある。そう信じて着実に歩いていくのが,大事なのではなかろうか。特段の能力に恵まれなくてもできることはあるはず,そう思ってやっていくしかないと思うところである。